白夜の音
黒い猫が一声、にゃあ、と啼いた。
黒尽くめの少年は黒猫の前に膝を着いて首を垂れている。
「申し訳ありません」
『…謝罪などはいらん』
猫の声の変わりに、男とも女ともつかない厳かな人の声が響く。その声は少年にしか聞こえないが、もともとその探偵社には少年と猫以外に誰もいない。
『十四代目。いいや、十四代目を捨てるというのだな、小僧』
少年は頷いた。黒猫が尻尾を振る。ふるり、と振る。その仕草はいかにも優雅だった。
『だからあの男などに預けたくはなかったのだ』
少年は謝ろうと思って思いとどまった。謝っても何もならない。今から自分はこの猫を裏切って遠くへ行こうとしている。その決心を変えるつもりがなければ、謝罪になんの意味もない。
猫は翡翠色の瞳を細めた。そこに怒りはない。あるのは少しの諦めと失望、または軽蔑であったかもしれない。または別の何か。とにかく彼は怒ってはいなかったが、少年には彼の意思を理解することは出来なかった。
『…早く行け。ヤタガラスが追う。すぐに葛葉も』
猫は静かにそう言う。
少年は僅かに目を見開き、そして帽子の鍔を下げた。
「ありがとうございます」
『礼など言うな。俺はお前を許さん。さっさと去ね』
少年は立ち上がった。許してもらおうなどと思ったのではなかったのだ。
「やはり、一緒に来ては貰えないのですね」
扉を閉めるとき、少しだけ振り返ってそう訊いた。
『俺は葛葉だ』
猫は応える。お前はその名を捨てるのだ、覚悟しろと続けた。
『逃げられぬよ』
「逃げます」
ふ、と笑った気配がする。
『俺がすぐに見つけよう。いいか、忘れるな。俺が必ず見つける。そのたびにお前は後悔するだろうよ』
まるでゲームでも楽しむように猫はそう言った。
少年は応えずに、するりと探偵社の扉から抜け出して二度と戻らなかった。
夢を見た。
そこはあの懐かしい探偵社だ。人気のない探偵社、窓の外には忌々しい満月。
逃げなければと少年は思った。しかし足が動かない。手も動かない。彼は四肢を荒縄で拘束されて床に転がっていた。
笑う気配が近付く。
―――逃げなければ。
身動きの取れない身体で身悶える。気付くと目の前に男が立っていた。薄闇の中男の顔は見えない。
男は屈みこみ、少年の学生服に手を掛けた。懐かしい学生服は弓月の君高等師範学校のものだ。実際には久しく袖を通していない。
男の手で学生服の前が乱暴に開かれる。厭だと声を上げた。男が何をしようとしているか判ったのだ。
男は笑っている。
「後悔すると言っただろう」
口付けを奪われた。噛み付いてやろうと思うのに身体が動かない。自分の夢なのに世界を支配しているのは自分ではないと感じた。
「っ、ふ、あ」
思うようにならないのに喘ぎだけが洩れる。ひどくざらついた男の舌が口内を蹂躙した。
男の手が下半身に伸びる。
「…厭だ」
「聞こえないな」
衣服を簡単に剥ぎ取られて直に肌に触れられた。男は少年の性器には目もくれずに、その窄まりへと手を伸ばす。乱暴に指先を捩じ込まれて少年は呻いた。
傷付けようとしているのは明らかだった。
ぎりぎりと荒縄が軋む。犬の様な体勢で背後から抱え込まれた。
「厭だ、やめろ…やめてください」
「お前は厭だと言って辞めたか」
哀しく笑うような声だった。好き勝手に掻き回す指が引き抜かれ、そして怒張が捩じ込まれる。
「うあ!」
少年が叫ぶ。突然の挿入、そして突然激しい抜き差しが始まった。
「厭だ、あ、ああ、っ…!あ!」
ぬるぬると血で滑る。夢なのにその痛みは本物だった。男はどこまでも乱暴に少年を犯す。
「や、あっ…」
「ははは、すぐに追っ手が続くぞ。捕まりたくないなら逃げることだ」
どんなに激しい動きにも男の声は乱れない。苦しみながらも、その顔を見たいと少年は思った。見たい。見たい。彼はどんな顔をしている?そしてどんな表情で今。
「逃げろ逃げろ。そして俺が探す」
「あ、あ、あ!」
少年の内から少しづつ快楽が引き出される。背中をのけぞらせて喘ぐ少年に男は自らを打ち付ける。
「そら、達け。そして目覚めて嘆くがいい」
嘲笑う声が響いた。その声はどこまでも厳かで、そして懐かしい。
「あ、いく―――ゴウトっ…」
少年は泣いた。
できることなら男を抱き締めたかった。しかしそれは叶わずに、激しい快感を伴って夢は途切れた。
「おい、大丈夫か」
はっと目覚める。少年の顔を、いとしい人が覗き込んでいた。
「…あ」
「ひどく魘されてたぞ。泣いてる」
恋人の指で涙を拭われ、少年は慌てて起き上がる。
「…すぐに出ましょう。見付かりました」
え、マジかよと言いながら恋人は自らの癖毛をぐしゃぐしゃと掻き回した。少年は頷く。泣いている暇はない。この人を守るために自分は全てを捨てたのだ。
大切なものも懐かしい場所も、なにもかもを。
物音を立てぬよう、しかし素早く身支度を始めた恋人が問う。
「なんで解ったんだ」
少年は少しだけ躊躇って、それからぽつりと呟いた。しっかりと前を見据えて、迷いはない。
「…ゴウトが教えてくれました」
何を失っても、全てを引き換えに守るものがある。それだけで充分だった。
2006/06/28
ゴウト×ライドウで強姦ネタです。「恋人よ〜」の続編だと思っていただければ幸いです。
お互いが大切でもどうしようもないときもあるよねって、そんな話です。
タイトルは松崎ナオのアルバム「正直な人」から「白夜の音」。
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