初花凛々

「葛葉」

いつの間にか朝だった。頭上から低くて優しい声が降ってきたので僕はうっすらと目を開いた。目の前には厳つい顔を柔和に微笑ませた男が膝を付いている。
僕は慌てて起き上がって浴衣を正した。すっかり寝入ってしまった。
「…すみません。お早うございます」
深く頭を下げる。
「いやいや、気にすんな。若いもんはよく寝ねぇとな。で、朝飯食ってくか」
佐竹の言葉に僕はしばし逡巡する。そうか、昨夜は深川で佐竹に奢られ、少々呑み過ぎてそのまま彼の家に泊り込んでしまったのだった。
今帰宅しても所長は寝ているだろう。僕が起こさなければ彼が起き出すのは昼過ぎなので、急いで帰ることもなかろうと思う。
「ご迷惑でなければ、ご馳走になります」
僕は微笑んだと思う。彼の前ではなぜだか安心して自然と表情が緩む。そうか、と言って佐竹は立ち上がった。
「今用意させるけぇ、まぁゆっくり支度しろ」
「有難うございます」
礼をすると、おうと応えて佐竹は襖を閉めた。
ああ、とても気分が良い朝だ。
改めて寝巻きを正し、立ち上がって布団を畳む。うんと伸びをすると背筋が伸びて気持ちが良い。深呼吸と共に畳の匂いを吸い込んで、ああ僕はやはり洋間よりも和室が好きだなと思った。ベッドは苦手だ、柔らかすぎていつまでも慣れない。
もう一度深呼吸する。家というのは棲む人間を映し出すもので、この屋敷はとても空気が澄んでいると感じた。
昨夜はついつい話し込んでしまった。
佐竹と過ごす時間は早く感じる。人間性にぴしりと一本筋が通っているので何を話すにも気持ちが良いのだ。思わずいろいろと相談事など持ち込みそうになってしまい、実際そうしたような覚えもある。僕は少しだけ昨夜の自分を恥じた。思わず全てを晒け出したくなってしまうのだから困りものである。
本当に本当に、全てがあの男とは違う。
あの男を一人家に置いておくと、すぐに空気が乱れる。どんなに僕が正しても、たった一日ですっかり自堕落な空間になってしまうのだから驚くほどだ。
「…」
深呼吸。ああ、僕だってこんな清涼な空気の中で生活がしたい。ふわふわのベッドで惰眠を貪っているだろう家主のことを思い、僕はひそかにため息をついた。

「お前さん、鳴海の奴とは上手くやってんのか」
蜆の味噌汁を啜りながら佐竹は僕にそう聞いた。
「はぁ。まあまあですね」
「まあまあか」
「険悪ではないと思います」
僕の答えに佐竹は苦笑した。
「随分と鬱憤が溜まっている様子だったがな」
しまった、そんなことまで話してしまったかと思いつつ鯵の干物を口に運ぶ。ああ、久々に他人の作った食事を食べた。美味い。
「もともとああいった種類の人間と関わりがないので余計なのかもしれませんが、何を考えているか理解できないんです。やるべき事があるのにそれをせず、自分で仕事を減らしながら退屈だと愚痴をこぼす。理解不能です」
佐竹はなるほどなぁと顎を擦った。
「お前さんは真面目だからなぁ」
「僕が普通なんですよ。それに彼は、感情的過ぎて」
僕が少しでも寄り掛かったならば倒れてしまうのではないかと思う。
「倒れるか」
「…いいえ、寄り掛かろうというつもりではありませんが」
しかし帝都守護などと言う大層な任務を受けたこの身である。
そしてその相棒として選ばれたのが彼のはずだ。それが、どうだ。

例えばこの人ならば大丈夫だ。
簡単に壊れたりしない。崩れたりしない。精神的にも肉体的にも鍛錬されていて、強い。僕が消えても後を追ったりしない。
いざとなれば僕を見捨てる心の強さを持っているし、けれど守ってくれる肉体の強さも持ち合わせているだろう。それが可能な男だ。この人ならば大丈夫だ。
「…貴方のような人なら良かった」
あの男は僕に依存しすぎているのだ。しばらく帰らなかっただけで自らの命を捨ててまで僕を探しに出掛けたりして。自分で責任を取るだなどと無駄死にするつもりで。
造船場の地下で見つけるまで、僕がどれだけ肝を冷やしたのか知れない。あんなことでは任務遂行に支障が起こる。
「お前が消えたとして、俺なら探さねぇと思うか」
「少なくとも無謀なことはしないでしょう」
「お前、それは自覚があって言ってるのかね。厭なやつだな」
何がですかと問おうと思ったが、なんだか不愉快なことを聞かされる気がしたので辞めた。しかし佐竹は問わずとも先を続ける。
「俺には組がある。そりゃあ、無駄死にはできねぇさ。あいつはお前以外何も持っちゃいないだろう。俺だって」
お前しか居なかったなら死んでも探すよと続け、再び顎を擦りながら佐竹はにやりと笑った。

それでも、この男ならばきっと死なないと僕は思う。
僕が心を乱されることもない。安心して留守を預けることが出来る。
ああそう言えば家は大丈夫だろうか。また寝所で酒を呑んで溢してはいないだろうか。寝煙草で小火を起こしては居ないだろうか。昨夜の食事はきちんと摂ったのか。全く何から何まで気に掛かる。
「…全く、帰りたくないですね。面倒だ」
あらかた食事も済んでしまった。佐竹はゆっくりと煙管を吹かしている。

「だからお前は帰るんだろうよ」


2006/05/24
佐竹×ライドウで「ほんわか幸せな感じ」…し、幸せな感じ!?
佐ライの言葉を借りた鳴ライなような気もしなくもないですが、そこはかとない佐ライを感じていただければ嬉しい…です…orz
佐竹さんはサマナーとしてのライドウの仕事を知っているのでしょうか。なんか、佐竹さんなら知っていてもいいかな、でもなんとなく知らないような感じかな、と思ってどちらとも言えない感じになりました。
ライドウは佐竹さんが大好きだと思います。
タイトルはSINGER SONGER「初花凛々」から。

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