書生と僕の愛ある生活について
「すみません、遅くなりました」
昨日から預かっている書生は、朝起きてくるなり腰を深く折って謝った。少年の足元には黒猫が礼儀正しく佇んでいる。
「ん?」
俺は新聞から顔を上げる。書生の顔は無表情だが、どうやら俺よりも後に起きたことを恥じているらしかった。とはいえ俺は早起きしたわけではなく昨夜から寝ていないだけで、この新聞でも読み終わったら寝るかと思っていた所なのでもちろん彼に非はない。
時計は朝の5時。
「…あ、俺ね、寝てないだけだから。君が学校に行ったら寝るから気にしないで」
「夜通し仕事をされていたのですか」
声のトーンが少し、上がった。やばい。いつもなら遊んで夜更かししているところなのだが、昨夜は偶々本当に仕事をしていた。処理しかけの書類がまだデスクの上に散らばっている。
嘘を吐いてもバレるだろう。不味った。こいつはうちにきたばっかりだし、下手な緊張はさせたくないんだけどな。真逆こんなに早く起きてくるとは思わなかったのだ。
「すみません」
どうやら生真面目な質らしい。さらに深く腰を折る書生に、俺はかりと頭を掻いた。困ったな。
「いや、謝らなくても」
「僕に出来る仕事は何か、ありませんか」
「…いや、うん…」
そう言っても、彼は未だここにやってきたばかりなのである。とりあえず仕事はイチから教えなくては使い物にならないし、かと言って今は早朝である。こいつはこれから学校へ行かなくてはならないのだ。
俺はしばし考えて、「じゃあ朝ご飯でも作ってよ」と言った。
書生はぱっと顔を輝かせた、ように見えた。相変わらず無表情だけれど。明るくわかりましたと頷いて彼が台所へと入ったところで俺はあっと気付く。…やばい。
「鳴海さん、米はどこですか」
案の定、すぐに書生はひょいと顔を覗かせた。
「あー…ごめん、今切らしてるんだった。パンならあるけど…洋食、慣れてる?」
またもや頭を掻いてそう告げると、書生は少し悲しそうに首を横に振ったのだった。
あー、参ったなぁ。かわいそうなことをした。
結局あのあと俺がパンを焼いてオムレットを作ったのだが、横でそれをじっと見る書生の真剣な顔ったら。
役に立たなくてすみません、と小さな声で言うので、俺は思わず「いや、君みたいなきれいな子、何もしなくたってそこにいてくれるだけで嬉しいよ」などと言ってしまったのだ。
あっと思った。そんなつもりはなかったのだが、途端に書生は傷付いた顔になった。
厭味に聞こえたのかもしれない。それとも何か事情があって、容姿に触れられるのは厭なのかも。あれだけ整っているならば逆に苦労も多いことだろう。
書生と猫はその日学校からそのままうちには戻らず、夜遅くになって帰ってきた。預かる始めから、うちで探偵業をする他にも葛葉特有の仕事があると聞いているので俺は大して気にしなかったが、彼はやはり大変に恐縮していた。
「すいません、遅くなりました」
「ああ、お帰り。疲れただろう。腹減ってる?良かったら、それ食べてね」
俺は机の上に並べた食事を指差した。書生は頭を垂れる。
「…すみません、何から何までお世話に。今から僕に何かできることはありますか」
その姿がかわいそうなくらい項垂れていたので、俺は必死で何か彼に任せられることを探してみる。
しかしもともとそんなに忙しい身ではないので、大した用事など思いつかなかった。
「はは、うーん、特にないなぁ、あとは添い寝でもしてもらうしか」
ああ、まただ。普段若い男と会話することなど少ない俺は、ついつい女の子向けの軽口を返してしまう。癖とは恐ろしい。
しまったと思った時には書生は神妙な顔をしていた。
―――やばい、巫山戯すぎたか。
「や、ごめん、冗談冗談。仕事を覚えるのはゆっくりでいいから、ソレ食べたら今日はもう休んで」
俺は慌ててそう言った。すみません、ともう一度頭を下げて書生が食卓に着く。
黒猫がちらりと俺を振り返って一瞥した。悪かったよ、許せ。俺だっていきなり若い子と一緒に住むなんて、どうしたらいいかわからないんだ。
食事をする書生の姿を眺めて、俺は密かに溜息を吐いたのだった。
その夜中だった。
布団に入ってうつらうつらとしていた俺は、コンコンというノックの音で目覚めた。
「…ん」
何だ?と思ううちに、ガチャリと扉が開いて夜着姿の書生が顔を出す。まさか。
「…ライドウ?」
「あの、…添い寝に」
―――まさか本気にしたのか!
俺はくらくらと眩暈を感じた。世間ずれしているとは思っていたが、ここまでとは。誰がどう聞いてもアレは冗談だろう。コイツは今まで冗談の一つもない世界で暮らしてきたとでも言うのだろうか。
「いや、あのね、あれは」
冗談だから戻りなさいと言おうとして、はたと気付いた。
書生は真剣そのものの顔をしている。今日何度も俺の役に立とうとしてできなくて、こいつは傷付いているのに違いなかった。
さらにこの上断ったら、また傷付けることになるのではないだろうか。
俺は少しの間迷って、結局彼を手招くことにした。
「…まぁいいや。じゃ、ありがたく。おいで」
ライドウは素直に傍へやってきて、失礼しますと布団に入る。
横たえたその体を子供をあやすようにぽんぽんと布団の上から叩けば、どこで覚えてきたのか彼は俺に擦り寄って口付けしようとした。
「…!ちょ、おい」
「…え」
俺は慌ててライドウの体を掴んで制した。
きょとんとした顔の彼はやがて拒否されたことを理解したのか、傷付いた顔になる。―――勘弁してくれ。何を考えてるんだ。
「…やはり僕ではご不満ですか…」
「いや、あのね、そういう意味じゃないんだよ。お前ねぇ」
頭痛がする。
自分を粗末にするなと叱り付けようかと思ったとき、ライドウの細い体が小刻みに震えているのに気付いた。
―――参ったな。
そんな、決死の覚悟で来るなよ。いや、誤解されるようなことを言った俺が悪いのか。さてこれは笑い飛ばしていい状況か?どうにか彼を傷付けずに済ませる手はないものか。
俺はしばらく考えてから、言った。
「…わかった。あのね、恥ずかしながら告白すると、俺実は不能なの。だからね、添い寝は嬉しいんだけど、それ以上のことは望んでないんだ。ありがとう、君の気持ちは確かに受け取っておくから、今日はこのまま眠ろうね」
かなり無理のある言い訳だ。しかしとりあえずは納得したらしく、ライドウはおとなしくうなずいてくれた。あきらかにほっとした様子でもある。だから、そんな、決死の覚悟で来るなって言うの…。
「分かりました。すみませんでした」
「うん、ありがとう、ごめんね、おやすみ」
俺は微笑んだ。ライドウは目を閉じて、それでも俺に触れていなければと思ったものか、きゅと俺の上着の裾をつかむ。
はは、無理しちゃってさ。かわいいなぁ、もう。
本当に素直な子ではあるのだろう。それは教育しろと請われるわけだ。問題も山積みだが、自分の手で少しづつ世間に慣らしていくのもまぁ悪くはないかもしれないと思う。
思えば俺は、そのとき初めてライドウをいとおしく感じたのだった。
ちなみにこのとき、彼が俺の不能をなんとかしようと固く決心していたなどと俺は知る由もなかった。
それについてはのちのち何度もまた悩まされることになるのだが、それはまた別のお話。
2006/08/12
ちひろ様よりいただきましたリクエスト、「鳴海の大人な駆け引きや、純情一杯のライドウ でもSM」でした!
はっ、…「でもSM」!?
しまった、え、えすえむになりませんでした…。鳴海の駆け引き度合いも足らないよ!!うわー、すみません…。※SMだなんて言ってない!と思われたらゴメンナサイ…シチュ選択がSMだったのでw
愛だけはなんだか溢れていますので、う、受け取っていただけたら嬉しいです、ちひろさんどうもありがとうございました!
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